コラム

顕微鏡の中に見えているもの

新潟大学大学院医歯学総合研究科
牛木辰男
 

透過電子顕微鏡の生物学応用の草分けの頃に活躍された先生方がよく口にされたのは、
 「Beuty is truth, truth beauty」という言葉だった。
これは、イギリスの詩人ジョン・キーツの 「ギリシャ古甕に寄せて(Ode on a Grecian Urn)」 という詩の一節で、日本語に訳すなら 「美は真実なり、真実は美」 となるだろうか。
 透過電子顕微鏡で生物試料を観察するためには、化学固定に始まり多数の複雑な処理が必要である。それが積み重なった結果として表される電子顕微鏡像は、しばしばアーティファクトの塊ともなりかねない。そんな陥穽におちいらないように、パイオニアの先生方は細心の工夫を凝らして現在の電子顕微鏡の試料作製技術を確立してきたのだが、その一つの信念が、このキーツの一節にこめられているのだと私は思っている。
 昨今のバイオサイエンスは物質に重きが置かれ、とかく 「形(形態)」 が軽視されがちである。しかし、生命の最小の単位である細胞をとってみても、あたかも一つの巨大な工場のように多様な装置を抱えており、じつはその複雑さは言葉ではいいつくしがたい。顕微鏡を愛する形態学者は、こうした形の中に自然の秘密を見出そうとおおいに努力してきたのだった。したがって、こうした論文に発表された一枚の写真の背景には、自然がそっと投げかけてくれた暗示にその研究者が気づくまでの、じつに膨大な数の写真が潜んでいるのである。
 とにかく多様な顕微鏡技術が開発され、表向きは顕微鏡写真が氾濫しているように見える現在だが、その中にどれほどの真実が潜んでいるのか。今一度、電子顕微鏡の草分けの時代を思い返す必要があるのではないだろうか?

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